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23年前に生まれ、現在。

October 19, 2016

現在、老若男女、したは3歳から上は70何歳まで来てくれて。

 

 

みんな、制作を通してつながって。

 

 

それぞれが平凡を平凡でなく制作してる毎日で。

 

 

刻に全て無意味なただの作業に思う日もあった。

 

ただ作ることや意志を発することに、じぶんの命を感じた。

 

どれほどヒトが変わっていけるか。

 

誰かの理解、否定、何もいらない時間。

 

それを信じて生きて欲しい。

 

言い訳なんてもうない。

 

ずいぶんたくさんの「羨む時間」もなくした気もするけど。

 

与えられた運命時間才能が、こうあるべきだなんて言い切ることはできないけど、

 

俺自身、昼間は制作を通して会話ををして

、夜は気の済むまで彫刻制作をして、寝ていても、夜中にもう一度制作をしたり。

 

誰かの目にとまるかどうかなんてわからないけど、

理解されない『やめときな』と思われる道かもしれないけど、俺はそう生きていなくちゃいけない。

 

 

 

 

 

俺の祖父は電気会社に勤めていたんだけど、

 

台風で街が停電になるような時代に、

 

男手一つで父親や叔母たち子供三人を育てるために働いていた。

 

 

まさに台風の夜には、嵐の中の復旧作業になるのだが

 

電線にカバーがされてない、足元がおぼつかない

 

そして体が投げ飛ばされそうになる雨風が吹き荒れる

 

「死と隣り合わせ」  の状況で

 

いつも

 

 『俺が行く。』

 

と先陣切っていくような人間だったと父親に聞いた。

 

そこにどれだけものを背負っていたのかなんて俺には想像つかない。

けどその意志くらいなら理解出来る。

 

その心は忘れずに自分の藝術、彫刻をしていたい。

 

 

 

 

 

例の、あの過労事件で亡くなった女性。

深層のことだとか詳しく知らないけど、

もっと自分に何かがもっと早くできれば変わっていたかも、しれない、と思い夢にも出てくる。

 

藝術で、叫んだり、見つめたり、自分に気づかされたり、将来に希望を抱いたり、

『こうしたい』と思わせることができていたら何か変わっていたかもしれない。

 

 

そんな人何百万といるってことは知っている。

若者の戯言でしょと捉えられることも知ってる。

 

 

でも、将来そうゆうことについて

 何か大きく変わったとしても、

なにか変えることができたとしても、

俺だけは、目を見張って驚くことはないだろう。

 

 

 

 

俺は15まで考える全てがありきたりだった。

その年から藝術を始めた。

 

母は24で俺を産んだ。

陣痛27時間を耐え抜いて産んでくれた母。

その産みの苦しみから、制作による「生みの生き甲斐」を志す自分が生まれた。

 

 俺もその24の齢の頃には普通に就職して、

普通に彼女いて、そして結婚したり。。

 

とかって、その15のときまでは思っていた、

いや、日常に思わされそうになっていたのかもしれないけど。

 

現在、結婚どころか、彼女どころか、

学校さえ休んで、

制作やパレットで藝術を志している。

 

俺は「やりたいこと」をやってる。

いや、「やるべきこと」をフルに時間を昇華させて生きている。

 

もちろんそんな舵取りをする自分だから、

そうゆう「現代人の多くが憧れる普通の日常」は得られないのかもなぁとも思ってる。

 

でもなによりも藝術が大好きで、

やっていて本当に良かったと燃えて、

夜中に制作していると、ふと、心震えて泣きそうになることもある。

 

それほどの「やりたい」と思えることを各々が見つけて、

そこで自信や決意、志を見つけることができたのであれば、

そんなたくさんの人と喋りたいし、

俺もエンジンかかるし、最高に、とにかく嬉しい。

 

とにかくめまぐるしいな、しんどいな、

と思う人がいるなら、

ここで 呼吸を止めるような、どっぷりと浸れる時間を過ごしてほしいな、と思う。

 

そんな世の中を、祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

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