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震えるほどの"生"のリアリティ

June 28, 2016

本日、自画像を描きました。

 

僕の場合、自画像と対峙する時に意識していることは、

「自分に説教されに行く。」

ということです。

 

自分の思い描く理想を映しだそうと炭を握り、

自分の現状を映し出す鏡の中に映る自分に悔しい思いをして、

結果、

『こう在るべきなんだ。』

『こう在りなさい。』

と自分が自分に言い聞かせる、

軌道を修正しては思い描き、見定める時間。

 

制作というのは、最期どう終わるか(完成させるか)を自分で考え、決める。

そこにたどり着くまでの時間も試行錯誤を繰り返し、

現状を客観視し、

譲れないところにはこだわりを持ち、

やるべきことはやって、

美しさを求めて進めていく。

とにかく戦いに戦って、

どう終わるかを決めきれずにうやむやに終わってしまった時は、

やりきれない敗北感を感じ、負けを知る。

 

これでいいのかな。とその時、深く考え込む。

 

「あー今日も1日早かったな。」

とか

「今年も1年あっという間だったな。」

とか

「この10年の時の速さより、

この先10年の流れの速さはどんどん早く感じ、加速していくんだろうな。」

とかって言っていたくない。

 

かといって自分でキッチリとスケジュールを決めきった生活もどうかと思ってしまう。

 

このどうしようもない、なんでもない一見不毛な葛藤も

「今」と戦うために、「今」を見るために大事な材料であることは間違いない。

 

 

美というロマンを求めて、

描いては悩み、

考え、

消し、

筆を進め、

完成を思い描く、

そして消し、また筆を進める。

これら一連の工程は『生きる』ということだと思うのです。

この「生」の美しさや素敵さに心が震えて、やめられない、「作品制作」というは人生の縮図だと思うのです。

 

今日、仕事帰りにスタジオ(ガモウスタジオ)に来てくださったデッサン初心者の40代のサラリーマンの方に、

デッサンを教えながら、美術を通して何が見えてくるのかを話していて、

彼からこんな言葉をいただきました。

 

「もっと早く出会いたかった。」

 

これが僕の彫刻のなかのひとつ。

 

学芸員やギャラリーのためでも、

批評家のためでも、

キュレーターのためでも、

美術界のお偉いさんのためでもない、

目の前に生きる人のためになる彫刻行為。

 

この藝術の素敵さで、人々の心を打ち、その人達が生活に還元していって、

各々が日常を煌めつかせていくことが僕の理想の彫刻です。

 

(自画像は完成し次第UPします)

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