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こころざしと芸術

June 19, 2016

 

 

こころざしには近い意味の言葉として大義名分というものがあると捉えています。

 

このこころざしや大義名分は、対価や報酬というような何か自分に返ってくるものがあって成り立つものなのかなとも思います。

 

つぎに制作について。

これは《作品》制作であり、

結果的に人に見せる、見られるもので、

制作をおこなう過程として、純粋に、

(これをこうしたらこうなる、だからこうしていきたい)

というふうに自分が舵をとって、たくさんの選択の積み重ねとともに進めていくものだと思います。

 

この制作における"選択"というのは、

純粋な子どもの表現の上では、

簡略化されて、

(こうしたい)

という思いが中心となって、すごく自然とスムーズに行われるものです。

 

というのも、彼らの制作においては、

「見られる意識」と「こうしたい意識」

のバランスが無意識に天才的だからなのかなと感じています。

 

大人になってくると「見られる意識」が強くなってきて、さらにはそこに自ら大胆な格付けをして

"純粋な表現としてのおもしろさ"

に蓋をしてしまいがちになってきます。

知識や経験がハードルのようになっているのですかね。

 

たとえばですけど、女の子が小学校に入るとみんな似た絵を描くようになってくるのは、団体に所属することによって、

急速な精神的な成長と一緒に、この「見られる意識」がつよくなってくるからなのかな、と感じています。

 

僕は制作によって得られる、その「こうしたい意識」が大切だと思います。

なぜかというと、この意識を持って制作をしているときには、一つとして、自分との対話や内省があるからです。

 

つまりは、こころざしや大義名分を夢や理想と同じくくりにしたときに、この自分との対話の時間はなくてはならないものだと思うからです。

この夢や理想を追いかけるているときの自分というのは、時として孤独に感じますし、不安やプレッシャーと戦わなければなりません。

 

そして、それを乗り越えるために、自分に問い、どうすべきか考え、また未来にピントを合わせます。

このような、自分との対話を通して、何度も自分を見つめて、未来に生きる自分を思い描き、心拍数を上げて、また来たる明日にわくわくします。

 

それを僕は「こころざしが溢れている」と表現していて、

そんな、こころざしが溢れている人が増えたら、

時間の流れるがままに身を任せて洗濯してきた自分の人生なのに、

毎日暗い顔して「しんどい、だるい、やめたい」と繰り返し口ずさみながら生活したり、

さらに大口を叩くと、一面的に捉えられるかもしれませんが、人は自殺したりだとかしなくなるんじゃないかとも考えてます。

 

僕は今日、不登校の小学五年生の男の子との将来についての会話の中での自分の発言に改めて、まだまだやれるぞ!と身を引き締め直させられていました。

 

「今、将来に得られる見返りのようなものだけを見て選択肢を作るっていうのは本当に幸せなことかな。

 今は一旦そういうことは置いておいて、無我夢中になれる、いっそのことその世界にどっぷりと浸かり込んで心中できちゃう!って思えるほど愛せる事を見つけることが大切なんじゃないかなと俺は思って自分に言い聞かせてるよ。」

 

これが若さ故だと言われても、

将来自分の人生を振り返ったときに、

「あの頃は良かったな。」

だなんて懐古する自分には僕はなりたくないなと思っています。

 

この文を読んで、作品制作を通して得られるものって素敵だな!と感じていただければ幸いです。

また、僕はそんなふうに思っていただけて、少しでも興味を持ってくれた方には、全力で全身全霊をかけて芸術を広めるべく努めてまいります!

これが僕にとっての芸術です。

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